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サイパン・テニアン慰霊の旅

2014-10-08

 

バンザイクリフを後にして、ラストコマンドつまり最後の司令部に行きました。ここは、かろうじて建物は残っているものの多くの弾痕が戦いの凄まじさを物語っておりました。ここを見学している際、参加者の一人が海ゆかばを唱和し、私もともに唱和したのですが、司令部内には5人しかいないのに唱和の声が何十人にも膨れ上がっているかのような英霊の声なのか錯覚なのか不思議な体験をしました。

ラストコマンドの後は、その後方にそびえ立つスーサイドクリフに行きました。ここは、先ほどのバンザイクリフのある岬を一望できる崖のてっぺんにあり、名前の通り、ここからも多くの日本人が身を投じたのでした。ここから北端を眺めると、右側に飛行場のような跡が残っているのですが、これは日本軍が最後まで諦めることのなかった飛行場予定地だったそうです。大海原に向けて滑走路の跡が伸びているのです。ここから反転攻勢の契機を作り出そうとしていたのか、無念であったろうと思います。

サイパン島にはたくさんの慰霊碑、朽ち果てた戦車が島の全体に渡って見受けられます。戦車の前に立つ西村真悟塾長。

二日目は、テニアンにセスナ機で行きました。

テニアンもまた、激戦の末、多くの将兵が玉砕した島でもあります。その一つが長野県松本の歩兵連隊慰霊碑です。


テニアンでは日本軍陥落後、この地から東京、大阪、名古屋、その他多くの都市を空襲するためにB29が飛び立ちました。そして、広島、長崎への原子爆弾を搭載したB29が飛び立ったのもこのテニアンでした。この島の滑走路が、多くの日本人を殺戮することにつながったのです。

B29が日本に向けて飛び立った滑走路で国旗を背負う塾長。

こうして二日間にわたるサイパン・テニアンの慰霊ツアーは終わるところでした。

しかしながら、6日の朝台風19号がサイパンに直撃したため、フライトの欠航が決まり、やむなく延泊することになりました。

塾長は英霊の声を聞いたのか、再び、バンザイクリフを訪れてました。

 

7日の早朝に帰路につきましたが、英霊は、また来いと仰っているかのような気がして、サイパンを後にしました。

百聞は一見に如かずのごとく、高温多湿を「肌」で感じ、朽ち果てた戦車、朽ち果てた司令部跡、バンザイクリフ、スーサイドクリフを「目」でとらえ、波の音、ジャングルの音、鳥の鳴き声を「耳」で聞く。五感の全てを使って、慰霊ツアーに参加できたことは大変に有意義なことでした。

 

文責

小芝 新

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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